音楽の時間 ー吹奏楽部の思い出ー チューバには2年生がいない 

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音楽の時間 ー吹奏楽部の思い出ー チューバには2年生がいない

吹奏楽部に4月に入部し、そこは、たいへんな名門の吹奏楽部であると知り、だんだんと厳しくなる練習に耐えていきます。数日経った頃でしょうか。チューバのパートに2年生の先輩がいない事は、まずいことだと気づきます。
他のどのパートにも2年生がいます。チューバの3年生が引退すればチューバは、素人の1年坊主しかいません。仲良しこよしの部活ではないのはだんだん肌で感じてきます。
朝練、休日の練習、ほぼ休みなしです。1年を通しても正月くらいでしたね。試験期間でも部活は休みでも個人練習はしてましたね。
そうなんです。2年生がいないという事は、このパートは、わたし一人になってしまうんです。頼る先輩がいなくなるのです。
当時チューバの先輩は、2人、Ebバスが1人と合わせて3人の先輩がいらっしゃいました。1年生は、わたしひとりという事もあって厳しくやさしく指導していただきました。
当時、音大に行かれた方も指導してくださったりそれは、いたれりつくせりでした。
しかし、間違いなく数ヶ月後の3年生がいなくなっての編成を考慮してか、わたしに対しての指導が他のパートの1年生と比べて厳しんですよね。ユーホニアムも2年生いませんでしたね。
でもユーホの同級生は、隣町の小学校出身でトランペット鼓隊があり小学生のころから金管楽器に慣れていました。わたしのようなずぶの素人とは違ったんですね。でも、そこは、来年は先輩がいないパートの宿命でしょうか。彼も同じように先生からも先輩からも厳しく指導されているなというのを感じてました。6月頃には、教則本の練習もそこそこに合奏に参加してました。この時の吹奏楽コンクールの課題曲が難しかったんですよ。
1973年の吹奏楽コンクール課題曲は、「寓話」という曲でシャープがいっぱいついていた記憶があります。もうシャープ嫌いおまけに16分音符がいっぱい、16分音符嫌い、チューバに16分音符いるんですか、
譜面読めないんですよ。音楽苦手だったんですよ。もう、毎日、特訓でしたね。パート練習、個人練習も先生つきっきりで教えられましたね。半世紀経ったいまでも運指覚えてますよ。

 

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