1975年、夏、中学校時代の最後のコンクールです。小学校の頃は、音楽の成績が最も悪かったわたしがよく3年間続けたと思います。おまけに最後は、名門吹奏楽部の部長・・・。これで3年間が終わったのです。終わってみれば、あっという間の3年間でした。この音源は、地方大会の金賞団体のレコードからmp3に変換したものです。このレコードには、代表の学校しか課題曲が録音されていないので残念ながら我々の課題曲の演奏は残っていません。
録音として残っているのは自由曲として選んだマクベス作曲の「マスク」です。
吹奏楽の為のマスク・・・
検索するとコロナ禍の中の妙なマスクがヒットします。そうではなくて吹奏楽の為のマクベス作曲「マスク」と検索すると出てきます。たぶん仮面舞踏会的な「マスク」でしょうか。
この曲は、吹奏楽の為に書かれた曲です。当時、コンクールの自由曲は、有名なクラシックの交響曲など吹奏楽の為に編曲された曲を選曲するのが多かったようですが、吹奏楽の為に書かれた曲「マスク」を選曲する学校も少しずつあったようです。
吹奏楽の為に書かれた曲だけあって管楽器のハーモニーや力強さ、そしてパーカッションの躍動感が表現されている曲です。
曲の最初から16分音符を刻むパーカッションは、とても印象的です。練習中にシロフォンのスティックが折れてトランペットのプレイヤーの頭に命中したこともありました。なかなか面白かっかた思い出です。
昨年の充実したメンバーと比較すれば今年のメンバーは、明らかに力不足感は否めません。しかし、そこは、猛練習でなんとかするのが中学校の吹奏楽部なんだと思います。毎日の基礎練習と決められた曲の練習をすればなんとかまとまった感じにはなるのものです。地区予選金賞を獲得することはできましたがあと一歩及ばずといったとこでしょうか。いや、二歩も三歩も及ばなかった気がします。
ライバル校の演奏は、どんな演奏をしたかは全く覚えていないのですが、迫力あるすばらしい演奏だった気がします。まあ、50年も前の話ですから覚えてなくて当然・・・
よく覚えているのは、表彰式の時ですね。ステージの上でたくさんの人たちの前で表彰されるのでわたしは、「コチコチ」に緊張していたのを覚えています。演奏の時よりも緊張していました。地区予選の代表を呼びあげられるときの「残念さ」を感じたのも覚えています。ライバル校の演奏を聞いたときに残念ながら「あー、今年は、もうだめだな」と思ってたので「残念さ」も感じましたが「そうだよね。」とも同時に思ったのを覚えています。そういえば、ライバル校の部長、かなりガタイがのでかかったのを覚えています。ライバル校だから、代表校の部長に「頑張ってきてください。」と言うのが、例年、部長の役目みたいなところがあったのですが、あまりに嬉しそうにしていたのが余計に悔しくて無視しました。まあ、悔しいのにかたちだけ「全国、頑張ってきてください。」というのもね・・・。
自分たちの力不足な演奏で仕方なかったのですが、この時は、3年間の思いが自然と「涙」となってあふれ出たのを覚えています。
そしてこの時に表彰式前の待ち時間の時に今では、超有名なサックスプレイヤーの多田誠司氏と再会しました。彼とは小学校の時に同じクラスだった幼馴染です。この時は、”超賢い学校”の吹奏楽部の部長でフルート担当になっていました。まさか将来、超有名なサックスプレイヤーになるとはこの時は、夢にも思いませんでした。
そんな1975年8月22日でした。
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