録音は、1974年の地区予選のものです。古いテープからPCに取り込んだものなので聴きづらい部分もありますが、当時の録音は、カセットテープでしか残っておらず、貴重な録音となります。
1974年度の吹奏楽コンクールの自由曲に我が吹奏楽部が選んだ「呪われた狩人」も冬からの猛練習をしてきただけあって初夏の頃には、少しは、形になっていたと思います。
この曲の冒頭のファンファーレは、かなり重要な部分です。ホルン4本のハーモニーと勇ましい感じを聴かせます。楽譜にはトランペット、トロンボーンにも書かれてありましたが、オーケストラの演奏では、ホルンだけで演奏しています。ホルンだけの方が、美しくかっこ良いのでわたしたちもホルンだけで演奏することになりました。冒頭のホルンのファンファーレの練習は、ホルンパートの先輩たちに同級生の4番ホルン、毎日のように個人練習とパート練習を行っていたのを覚えています。
ファンファーレのあとの牧歌的なろうろうとした感じのユーホニァムの美しいSoliがあります。オーケストラでは、チェロの演奏です。そして交響詩「呪われた狩人」の主人公である伯爵は、勇ましく狩りに出かけます。
今でもよく覚えているのですが、金管楽器は全体的に3連符のフレーズが多いです。この3連符にチューバは、8分音符を演奏する部分があって3連符につられてしまいなかなか演奏できなかったことを覚えています。この3連符のフレーズは、伯爵が勇ましく狩りを行っているシーンでしょうか。
そして木管楽器パートは、途中6連符やなんちゃら連符の連続で鬼のような練習を毎日のように行っていました。金管楽器の裏では木管パートが目まぐるしく動きます。オーケストラでは、弦楽器が中心となるフレーズなのでしょう。
また「呪われた狩人」は、宗教的な要素が多い曲なのでチャイムの音色が必要です。当時の吹奏楽部に持っているのがたいへん貴重なチャイムをがやってきました。あの、のど自慢の時に鳴らすやつです。そして曲の後半部部ではどんどんと伯爵は追い詰められていきます。
そして曲の中間部分のおそらく「呪う部分」のチューバのSOLOの部分も練習では、なんとか吹けるようにはなりましたが、あの「高いC」は、相変わらず、”で・でない”。
毎日、スケール練習しているのに”で・でない”「A、B♭」が、なんとか、かする程度です。
あー、「C」が、”で・でない”。
夏休みがやってきて夏のコンクールは、どんどんと迫ってきます。
夏休みの間にまず吹奏楽コンクール県大会があります。その県大会で金賞を受賞した学校が次の地区予選に出場することができます。そして地区予選でただ一つの中学校のみ全国大会に出場することができます。まさに狭き門です。
そして夏休みの最初にある定期演奏会では、課題曲、自由曲もお披露目します。県大会に出場する他校の吹奏楽部の人たちも間違いなく聴きにやってきます。下手な演奏は、できないのです。
たくさん練習してきているとはいえ、音楽が苦手だったわたしがチューバのパートリーダーを任されおまけに自由曲のSOLOを人前ではじめて演奏するのです。卒業した先輩方も応援にきてくれています。相当のプレッシャーがあったのだと思います。いよいよ定期演奏会がはじまりました。そして課題曲、自由曲を披露します。いまでも覚えています。こともあろうにSOLOの出だしを間違え曲が台無しになってしまいました。コンクール本番でなかったことがせめてもの救いです。定期演奏会が終わったあとは、結構、落ち込んでしまい、先輩方に慰められたのを覚えています。
そのあとは、気持ちを切り替え猛練習しました。わたしは、また同じ個所で間違えてしまうのでは、ないだろうかと・・・トラウマのようになってしまいました。しかしそれを乗り越えるには練習して自信をつけるしかありません。
それからというものSOLOの部分の前にさしかかると先生は、わたしの方をみて「行くぞ!しっかりしろ!」というような気を投げかけてきているのを感じました。
そして吹奏楽コンクール県大会が無事に終了しました。
結果は、当然、ダントツ「金賞!」
審査発表の時、他の中学校の生徒が「金賞!」と発表があれば、「わーっ!!!」と歓声が聞こえます。
わたしたちは「金賞!」と発表があっても「シーン」としています。
我が吹奏楽部は、県大会での「金賞」は、当たり前なのです。目標は、そこではないのですから...。
とは、言え、なんらかのリアクションはないと失礼かと(今思えば...。)
いよいよ次の地区予選へ向かって休みも返上で暑い夏の猛練習の日々が続きます。
わたしの記憶も定かではないのですが1年生2年生は、1日だけ休みがありましたが、3年生は、学校の行事かなにかと重なり休みはなかったのです。そしてその翌日、3年生の中心となる先輩方が何人か申し合わせて黙って練習を休みました。全国大会出場という目標があるとは言え、夏休みのあいだ練習にあけくれて解放されたかったのでしょう。
その翌日、先生は、ご立腹です。合奏が始まる前に「昨日、休んだものは前に出ろ!」と一言うと・・・。
先生も結構な覚悟と熱意があったのだと思います。とは、いえ、今なら完全アウトですね。とても昭和を感じます。
それからの先輩たちは、決して悪びれることなくますますもって吹奏楽部の中心となりわたしたちの結束力は、より強固なものとなりました。
そしてひたすら地区予選まで猛練習です。そんな時、同級生のバストロンボーン担当者が転校することを知らされます。わたしと同じ小学校出身で小学校では同じクラスでした。彼といっしょに演奏するのも遊ぶのもこの夏が最後となってしまいます。わたしは、精一杯の思い出をわたしにも彼にも残そうと思ったのをおぼえています。それには、練習しかありません。
が、しかし、「高いC」は、思うように、で・でない。
とは、言え、「あの高いC」の音は、チューバだけで出すのではありません。全体がハーモニーで鳴っています。
ユーホのパートの譜面にもわたしと同じ音域の「C」が書いてあります。
同級生のユーホ担当にいつもお願いしていました。同じ音なのでわたしと同じ気持ちで「力一杯吹いて、そして鳴らして」と...。
思うように「高いC」が出ないので鳴っているように聴こえればいいだろうと...。
地区予選本番が、ついにやってきました。
すべての思いを込めて本番に臨みました。同級生のバストロくんとも最後の演奏です。緊張しますが、彼との思い出を残してあげることができるのは、いい演奏しかないのです。
この夏、わたしたちは、見事、全国大会出場を果たすことができました。
50年前の遠い遠い夏の思い出です。
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